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今年の5月に訪れた、ドゥブロヴィツィ・ズナメンスカヤ教会の姉妹関係にある教会がモスクワ市の東部に建っている。しかし、この教会には王冠はなく、ロシア正教会の教会らしく建物の上部にタマネギが載っている。
(ノヴォザボーツカヤ通りからパクロフ教会を見たところ、塔の形がナリィシュキン(Naryshkin)様式建築の特徴) この教会の名前はフィリのパクロフ(庇護)教会。ドゥブロヴィツィ・ズナメンスカヤ教会とほぼ同時期の1693年から1694年に建設されたとの記録がある。これらの教会もナリィシュキン(Naryshkin)様式建築の代表的なものとされている。共通するのは、教会の平面図が十字架の形をしていること、中央部が塔になっており、最上部まで吹き抜けになっていることだろう。ドゥブロヴィツィ・ズナメンスカヤ教会よりもパクロフ教会の方がピョートル大帝の庇護の元で建てられたとの記録があるように豪華である。 (敷地内に進むが、ほかの教会と異なり、敷地内があっさりとしている。これは、ドゥブロヴィツィ・ズナメンスカヤ教会と共通することかもしれない) パクロフ教会の歴史は、穏やかなものではなかったようだ。そもそも、パクロフ教会が建っている場所には、ロマノフ王朝初代のミハイル・ロマノフの時代に木造の教会が建築された。その後、レヴ・ナリィシュキン(ピョートル大帝の母親の兄弟)がピョートル大帝の助けを受け建てたものといわれている。 (教会の外壁には所々に古い文字の書かれたタイルが埋め込まれている。このタイルは、創建当時のものなのだろうか。何と書かれているのかは分からない) しかし、その後、祖国戦争(ナポレオンのロシア侵攻)、ロシア革命で大きな被害を受け、さらに第2次世界大戦で決定的な被害を受け、ほぼ、崩壊してしまった。その後、1955年〜1980年に大規模な修復が行われ、現在の状態に復元された。 (教会のアップ。階段がアクセントになっている。この辺りは、同じナリィシュキン(Naryshkin)様式建築の一つである。クルチツコエ司教館にも共通点を見いだせそうな気がする) 現在のパクロフ教会は1980年に復元されたものであり、祖国戦争前にはどのような形をしていたのか正確な記録は残っていない。もしかしたら、ドゥブロヴィツィ・ズナメンスカヤ教会と同じようにタマネギのない教会だったのかもしれない。
by gujeri
| 2007-12-10 06:05
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